追い詰められたい


ギリギリまで自分を追い込むには奥田美和子の無言を聞き続けるのが良いと思う。何でこんなにも痛々しいのだろう。そしてその時の感傷や感情がすごく好きだ。そのときは、そんなこと思わないけど、後から思い出すと、たまらなく、きもちいい。生きるのって大変だ。大変に生きてたい、飄々と生きてたくない、殺伐としてたい、世界は嘘だと思い込みたい。魔法の世界はあるとどこかで信じていたい。
この歌の歌詞ひとつひとつについて、しっかり考えてみたい。そして最後には生きるって何だろうって思うのだろう。ほんと、不思議すぎて涙が出そうだ。
ここに吐露していると私の半分以上は自分自身の性へのコンプレックスだったんだなあと今更になって気付く。女は洗って着替えてこいってこんなことを書きたくて、このタイトルに設定したわけじゃない。うちの劇団の主宰が「女は洗って着替えてこい」って言ったのが、あまりにも衝撃的で言葉の響きが忘れられなくて、ついつい携帯にメモしてしまったのだ。なんかの化粧品のCMのキャッチコピーくらいに衝撃的で斬新で格好良いのに、主宰はただ単に、「女は着替えるのが遅いから掃除をもうやめて、雑巾洗って着替えてきていいぞ」ってことを言いたかっただけだったんです、それが省略されて「女は洗って着替えてこい」になったと、それだけの話し。今まで「壁にプリンを撃ちつけろっ!」を経て「きいろいかばんをおいかけろ!」という名前でサイトをやってきた。そして今は「ばかみたい」。それは、放置プレイになってるので、今ではこの「女は洗って着替えてこい」が主流。ばかみたいの間にいろいろあったけど、忘れた。「ばかみたい」はWEB拍手で「ばかみたい」ってコメントが一言来たので、半ばやけくそでサイト名を「ばかみたい」にしてやった。でもほんと、ばかみたい、今まで壁にプリンを撃ち付けてみたり、見えもしない、きいろいかばんをひたすらおいかけたり、ほんと、ばかだよなあって思ってさ。だから客観的で、もうここらで、あがくのもやめにしないかってことで「ばかみたい」、でも結局あがいてる、自分自身にあがいてる、夢にプリンを撃ち付けたり、夢を追いかけたりするのはやめて、自分自身とほんとに向き合ってみる。自分の頬をつねって、叩いて粉々に割って、ほんとうに「女は洗って着替えてこい」と半ば投げやりな気持ちで持って、このブログはスタートした。私ができることはなんだろう、私自身ってなんなんだ、私なんで生きてんだ、
ここ1、2年恋愛したくて仕方ない。たくさんの人を好きになったよ。好きになっては、諦めたり、自分から身を退いたりしてね、ここにどうしようもない自分を書き綴って、諦めろよ、お前なんて無理だよ、何の努力もしてないでさ、自虐するってのは自分自身を楽な方向に逃がしてやってるだけなんだよ、こんな私が女でいる価値はありますか、
今までは夢があったから自分の性を忘れられた。でも大人になっていくにつれて、実は自分が女だということはとても世間では重要だということがわかってきた。女でない女は何者でもない、それは夢を叶えるためにも必要なことだった、女である私が必要だった、(のかもしれない)
だから今、女は洗って着替えてこい。

むりやりっぽいか…(苦笑