ポカリって響きもいいよね

なぜ、編集者になりたいとか、なぜ広告を作りたいとかさっぱりわからない。ましてや今まで編集者なんて考えたこともなかった。ただ本と書く仕事に近そうだったから将来ためになるんじゃないか、それくらいのノリで応募してしまったが、別に絶対なりたいわけでもないのでまったく自己PRが思いつかない。言葉はひとりぽっちだとか、ひとりの人を見たいから言葉が好きだとか書いたところで何も伝わらないっていうか、この人何言ってんのくらいになっちゃうんだろう。
それでも書かなきゃ、ああ就職するよりも、その理由が一番自分を納得させ他者を納得させる理由が一番難しいのかもしれない。
なりたい、やってみたいって思いはものすごくある。でも、どこが面白いのか、何がいいのかって言ったらさっぱりわからない。
ああもう、だからこうやって言葉にしていくんだ。

ポカリとアクエリだったら私はポカリを買う。それはなんだかわからないけど、ポカリの方が体に浸透するイメージがするからだ。ポカリにイメージするものは地球、青、何かタバコのCMであったけど、「この国の、青」ってそれってポカリだと思う。ポカリって水の次に水だと思う。実際、そう思ってる人は多くてネットにはポカリ同盟なるものができあがってる。そこに同盟に参加するための規約みたいなのが書かれているのだが、

・ポカリは命の水だ
・冷蔵庫には常にポカリをストックしてある
・清涼飲料水っていったらポカリだ
・スポーツ飲料のトップはポカリだ
・人間の体内の70%はポカリだ
大塚製薬ありがとう
・風邪をひいたらポカリだ
・実はポカリは点滴だ
電解質っていいよね
・ポカリって言葉もいいじゃないか
・トータルすると、つまりポカリが好きだ

ポカリ同盟より http://hiyuna.hp.infoseek.co.jp/p.html 

なのだが、『ポカリは命の水だ』『人間の体内の70%はポカリだ』『実はポカリは点滴だ』
はとても共感するものがある。もちろん私もポカリ同盟に所属している。
ポカリって命の水、なのだ。
私のポカリの使用法としては、朝時間がなくて朝ごはん何も食べてないときによく使う。朝、麦茶を飲む気もしなくてかといって水は直接的な気がして、少し甘いポカリは何か栄養もあるような気がして、バイト先に向かう途中で自販機でポカリを買って一気飲みしながら、バイト先へ歩いていく。
いわゆる朝のポカリ補給だ。寝起きの体が水みずしくなった気がする。ブドウ糖が一気に補給された気がして、とりあえず一時はがんばれる気がする。
すべて気がする。つまり気のせいかもしれないのだが、ポカリを片手に500ml持ったところで、何かとても力強い朝になれるのだ。
ポカリは体だけでなく心の栄養剤ともなっている気がする。
それはすべて広告による効果だと思う。つまり私たちは広告によって思うように操られてるんじゃないかと思う。
それを知りながらもポカリを買ってしまう。でもそれはどこか幸福に感じる。
朝のポカリの人気はすごい。駅のホームの自販機にポカリが売ってるが朝はほとんどと言っていいほど売り切れだ。
せっかくさあーポカリで栄養補給ーと思っても売り切れてるのである。イラっとくる。
ポカリがないだけでイラっとくる。ポカリがない場合はダカラで間に合わせるのだが自販機にはダカラはない。レモンウォーター(?)があるのだがそれはいやだ。朝から酸っぱいのはいやだ。それにそれは薄すぎる。一度飲んで経験済みだ。
というわけで、もう一個の自販機に買いにいく。こっちにもポカリは置いてあるのだ。
でも、ここも売り切れの場合がある。
そういうときは仕方ない。他ので我慢する。
ポカリで癒される。
ポカリの青で地球を感じる。
ポカリで心を満たして
ポカリで体を満たして
いっぱい泣いたら、飲みたい。
ポカリって涙の成分のような、気がする。
人と商品って物と人だけど、物を作ったのは人で、その人の見えない気持ちとかをかたちにできればいいと思う。

あーなんとなくだけど広告の理由は思いついた…