なかよしみたいな恋愛は可能ですか?

恋愛はただかわいいだけでは済まないんだと思う。少女漫画は、ただ主人公がかわいくて、恋に落ちる相手は必ず男の子で、必ずハッピーエンドで。それが嘘で飽き飽きしてきたのは、いつ頃なのだろう。口下手だし自分を着飾るのも、うまくないから、男関係はほとんどと言ってないし、未だに処女だ。これから出会いがあるのかも不安だ。でも片思いは毎日といっていいほどしてきた。そのなかで少女漫画みたいな奇跡は起きない。だいいち少女漫画の主人公みたいにかわいくない。友達に好きな人がいることを言うのも、ものすごく恥ずかしい。それすら恥ずかしくなってしまったのは、なかよし、りぼん、ちゃお、に載ってるマンガがあまりにも理想のキラキラした物語りすぎるから。でもそれくらいしか恋愛に触れる機会がないから購読は続けていた。そういう漫画が逆に自分が女の子である、ということをコンプレックスにしていったんではないかと今になって思う。自分に自信のない私は自分の気持ちを言葉にするのも恥ずかしいし、自分が恋をしていることもいけないことなんではないかと思う。少女漫画に男女はつきものだ。女の子が男の子に恋をする。なんか昔、男の子を主人公にして漫画を描こうとした漫画家が担当に「うちでは、女の子が主人公じゃなくちゃ駄目なんだよね」という話しを、どこかで見てびっくりした。私は男の子が主人公の漫画も見てみたいなあ、なかよし、りぼん、ちゃおってなんて幅が狭いんだろう。もっと広げてもいいと思うのに。だとしたらクランプのカードキャプターさくらって言うのは、やっぱりすごいなって今更になって思った。
それから少し大人になると花とゆめとかlalaとか少年ジャンプとかに好みがみんな変わっていて(私はガンガンでした)それだけ世界が広がっていったということだと思うけど、やっぱり男女の世界は崩れなくて、どんなに恋愛の話しを読んでも恋愛下手なのは変わらなくて、なんだか憧れだけで男の子を求めるようになってしまった。と思う。中学になってやおいが一部の女子の間で流行り、私も小説を借りて読んだりしたけど、実はエロシーンしか読んでなくてオナニーのおかずにしかしてませんでした。(すみません)男同士のエロ描写でも気持ち良くなれるんだなという発見しかなかった。漫画、同人誌の方もたくさん借りて読んだけどやっぱりエロシーンでオナってました。(だからすみません)だからやおいってあまり理解できなかった。でも、また最近オタク熱があがるようになってからは、どうしたって、やおいとは切っても切れない。で、ここ数年またやおいを見る機会があって、少しやおいの良さがわかった。ただし、二次創作のやおいのみ。で。二次創作はキャラへの愛だと、私は思いました。ただオリジナルは意味がわからない。
で、今いろいろあって百合について考えてるわけですが、百合とは、やおいとはいったいなんなのか、と。
そういうのに興味がある友達と昨日モスで話してたのだが、
やおいは同姓同士のキズナを深めていくのがやおいだと、
そう定義付けて考えるとやおいっていうジャンルがよく見えてくる。むしろものすごく良いジャンル清潔なジャンルに見えてくる。
じゃあ百合とはというので、友達が言ったのがあまりにも衝撃的だった。
「百合ってやつは二次元。三次元になると百合じゃない。三次元になると百合じゃなくてレズという言葉があるから。」
なんて冷めた考えなんだ。
でも今日ニコニコかようつべで見た三次元でのギャルゲが駄目のような感じか…コメントにやっぱギャルゲは二次元のままでいいやって言うのに酷く納得してしまった。
百合でも恋愛でもやおいでも萌えればなんでもいいというのがあるかもしれない。
でも実際の恋愛ってそうもいかないわけで萌えればなんでもいいなら、それこそ、山なし、落ちなし、意味なし、になってしまう。それに萌えってその時代ごとに流行があるし。まあそういうのもいいんだけど、実際の恋愛はそう簡単にもいかないわけで、やっぱり志村貴子とか乙ひよりとかリアルに人間の心象を見つめるのを人は求めていると思う。恋愛って難しい。全然うまくいかない。大人になったら少しはうまくいくかと思ったけど全くうまくいかない。というか未だに恋愛ってなんなのか、わかんない。どれが正しいとかないから百合とかやおいとか新しいかたちの恋愛もでてきたりしているんだと思う。実際、人は同姓が好きになったりする場合もあるし。
常識なんかないのかもしれない。それの発展途上なのかもしれない。
恋愛はかわいいだけじゃない。もっと複雑なものだ、そのひとつが百合なんではないかと。
かわいいだけじゃ続かない。もし作っていくのなら、私たちは不器用すぎて気持ちを伝えられないのです。その想いを代弁してくれるような漫画を作っていきたい。

えーとつまんなくてすみません。