知恵の輪

羽田空港に行ってきた。楽しかった。たくさん話しをした。雨の日の羽田もいいね。雨降ってたのに展望デッキにはたくさんの人がいたよ。デジカメで写真も撮ったけどアップすんのが面倒なので後でアップしてみようか。人と話すと、人と一緒にいると自分の存在意義が見えてくる。人と繋がるのは生きるうえでかかせないことだ。やっぱり人と繋がっていたい。その人達のことを考えると死ねないし、死にたくなくなる。(エゴだと言われればそれまでだけど)もうちょっと生きてみようかなって思う。だから生きてるうちにたくさん繋がって楽しい思い出をたくさん作りたい。って結局、普通の考えに収まった。ちょっと前まで、こんな当たり前のことがわかんなかったんだなあ。でもこれがきっと原点みたいなもんんだろうなあ。悔しいけど。羽田空港は幸せな空気がじんわりとやんわりと流れていて、なんだか私も幸せで、こんなとこで犯罪なんか起きて欲しくないと本当に思った。(悪意を感じることは大事だけど)
どれもよく撮れてない↓
      

      
たくさん話した中で気になった話は、「自分の軸がないと言われた」と、その人が言ったこと。「どうしたら軸ってできますかね?」って言われた。私は「自分の好きなものとか趣味とかが軸になっていくんじゃないですかね」とか曖昧なことを言ってしまったけど、でもそもそも軸ってなんだろう?仕事に対しての?性格的の?でも「軸がない」なんて何て失礼なことを言う人なんだろうって思った。私そんなこと言われたらへこむな、酒飲みながら愚痴るよ。一晩は。「軸ってなんなの?私の軸っていったいなんなの??」って感じで。でも、いろいろ話してる中で、その人には軸があるような気がした。というか、それが軸なのかどうかわからないけど、「その人らしさ」というかなんというか、だから「大丈夫ですよ、軸ありますよ」ってなんだか無責任なことしか言えなかったけど。自分のものさしみたいなもんだろうか、軸って。私はたぶん軸あると思うけど、それを表に出せてるかというと、そうでないときとそうであるときが、はっきりしている。会社では本当に軸のない人間になっていると思う。そう見られてると思う。まあしょうがないでしょう、しゃべんないんだし、でもそれでいいと思う。だんだん出てくるものだと思う。そんなに長くは隠せない、いずれボロが出る(たぶんもう出始めている)で、それを閉じてるとか開いてるとかいうんだろうか、今日の私は開いてたんじゃないかと思う。ネガティブしたかったのに、今日の私は明るかった。でも、たいてい人と会うと、そうなるかもしんない。その人は閉じてるって言ってた。開いたこと2、3度しかないって。家族の前でも開かないって。
「じゃあ実は常に開いてるってことかもしれませんよ。明るいだけが、開いてるとは限りませんから」そもそも開いてるって人が感じてるとき人はどうなってるんだろうか、私の場合は饒舌で気持ちが開放的になっている場合を開いてるって言うんだけど、果たしてそれだけが開いてるってことなんだろうかと、ふと疑問に思った。でも、その人の開いてるとこ見てみたい。心から楽しいってことが開いてるということならば、心から楽しいって思わせてみたい。私は心から楽しかった(一歩的に話してすみませんでした)
あと東京おもちゃショーに行ってきた。ベビーカーがさらに憎らしく感じてしまった。おもちゃに夢中になる子供はかわいかったけど。こうやってひとつひとつしあわせを知っていくんだ。きっと。でも鼻の頭てかってた。酷い。