不条理

ふと思い出した、私は小学校の時、ずっとヘアバンドをしていたのだが(藤崎詩織ではない。今でも、そのヘアバンドは持っている)中学になってからは、ヘアアクセサリー類が一切禁止になってしまい、生徒手帳にはゴムの色や染髪の記述はあってもヘアバンドのことは載っていなかったので、ゴムと一緒で茶や黒なら大丈夫だろうと思って学校に付けていったら先生に注意されたことを思い出した。当時の私は何で今まで付けていたものが、駄目なのか、全く理解できずにいた。というか今の私にもあまり理解できていない。そんなに派手でもないのに何故付けていちゃいけなかったのだろうか、だいたい小学校の4年間くらいヘアバンドを付けて過ごしたというのに、何故4年間も付けてたものを、ここに来てはずさないといけないのか不思議でしょうがなかった、今でも不思議だ。それでも、学校の決まりは守らなくてはいけないから、仕方なくヘアバンドは付けずに過ごした。
中学校では年に一度生徒総会なるものが行われて、その催しの中で変えたい校則を各クラスごと(?)発表して審議にかけるというのがあった。で、クラスで話し合いがあったのだが、変えたい校則はありますか?という学級委員の問いかけに、私は手を上げて皆の前でこう言ったのを、今でもはっきり覚えている。「何故ヘアバンドは駄目なんですか?」と、はっきりと言ったら、皆に笑われた。まあ確かに変えたい校則は何ですか?という問いかけに答えになってないことを言ったから笑ったんだと思う。でもそんなことより何でヘアバンドが駄目なのか、ということを私は知りたくて仕方なかったのだ。結局笑われただけで私の意見なんて何もないようにされて、そのまま生徒総会は全生徒を集め体育館で行われて、個人が発言しても良い場面もあったが、さすがに全生徒の前で、クラスでも笑われたのに、学校全員から笑われる勇気はなく、何も言えなかった。でも今でもおかしなことだな、と思う。というか学校の校則自体おかしいとは皆思っているだろうけど。でも当時はヘアバンドが禁止な理由が、万が一首にヘアバンドが絡まって死んだら危ないからかなあ、こんなんで死なないと思うけど、とか考えていた。まあ今ではなんとなくではあるが禁止にしてる理由わかるけど。中学になって急に禁止事項が増えて押さえつけられるようになって、これが世界なのかと絶望した時の気持ちは今でも鮮明に覚えてる気がする、なんかもっと良い方法があるような気もするのだけれど、ほんと尾崎豊の歌のような気持ちでした。
私は、このころから絶望を意識し始めそれが大事な世界と今でもなっている。心はいつも満たされなくて誰かに銃口を向けている。不快感や憤りでいっぱいで何でがいつも心を満たしていて死や鬱に憧れを抱いた。今でもそういうところは、ある。というかありすぎる。本気で死にたいなんて思わないけど、その世界をもっと見たくて、生きてるようなもんです。もっと汚いものを見たい。もっと暗いところを見たい。だから生きている。どうしようもないものに魅力を感じる。私がどうしようもないから。