私はしあわせすぎるから傷つきたくて仕方なかった。

五臓六腑が全て痛くなり会社を早退した。しかし久しぶりにはやく帰れたので地元に着いたときには痛みも気分もよくなっていたので買い物を1時間半くらいしていた、眠気も疲れもなくなっていた。久々に明るい街を歩いた。たった数日の残業なのにずいぶんと闇の中にいたような気がした。ようやく穏やかに戻ってきた、仕事をしなくていいよ、今日は早退しなさい、寝てください、と言われるとなんだか、手持ち無沙汰で、どうしていいかわからなくなる、
昨日また仲の良い営業さんと(36歳、男)帰る時間が一緒になって話す。彼は昔も映像会社に勤めていたらしい、18のときに会社に入って28まで働いたそうだ。よくそんなに続きましたね、と言ったら、たぶん何も考えてなかったからかな、あと仲間に恵まれてたから、と。なんだか今思えばとても当たり前なことかもしれないけど、私にはとても新鮮にその言葉は響いた、どちらもとても大事な宝物ような気がした。
営業さんには、私が大人の人に恋をしていて今度会うという話しをこの前していたので、「あれはどうだったんですか?告白したんですか?」と聞かれてしまった。ふられました、線引きされたんです、希望を持たせないために今日はここに来たとか、言われました、と私が昔の物語を思い返すように言うと、「まだ、23ですよね、これから出遭いが、たくさんありますよ」と言われた。私の処女を奪っていった男(28)も私を抱いた後にそう言った、「これからたくさん出遭いがあるよ」と占いでもするかのように、
そう言う彼らの瞳はどこか、やさしい。

あんなに遠くにいたはずの暇な時間は、仕事を手放せさえすればこんなにも簡単に手に入るもので、母に電話をすると当たり前のように、そこにいて、今日は早退するから晩御飯食べると伝えると、煮物しかないよ、と返ってきた、それでいいよ。家に帰るとあったかくて私はしあわせなんだなとつくづく思い知らされる、いくら不幸ぶってても、悲しみを追い求めても、どうしても最後はしあわせにもどってきてしまう、
自分から転がらないと何も始まらない、しあわせは底辺を走っている、いつだって微笑みかけてくれているのを私は知ってるからまだ見ぬ悲しみに手を伸ばす、
恋をしてるときは絶望と希望を一気に味わえるから楽しくて仕方ないのだと思う。しかも何度でも救いのある絶望だ。