死にたい。

『私がこんなに書いても書いても言葉は振り向いてくれない。』
それでも、こうやって言葉を書いていく中でわかったことがあった。
私は「独りのときの人」を見たいから文章が好きなんだということだ。
友達でも誰でも家族でも、人は独りでいるとこを見せたりしないし、人は「独りのときの人」を一生見ることができない。だから不安で孤独で仕方ないのだ。こんな思いしてるのは自分だけなんではないか、という気持ちになる。人ってみんな、そういう孤独を抱えて生きてる。
独りのとき、は誰にも見せることができない。でも、寂しい気持ちを知って欲しい、ここにいるって知って欲しい、独りのとき、自分のことを少しでも知って欲しくてネット上で言葉にする。だから、言葉って文字って人と人をものすごく、つなぎやすいのだと思う。言葉を発する人は、そのとき、独りだからだ。
書くってしゃべる次に、大事な行為じゃないかと思う。だからどんなに進化しても言葉って廃れない。むしろ言葉で伝えることが大事な世界になっている。人の言葉を見て、ときどき泣きそうにもなるし微笑ましくなったりする。言葉に触れるということは人に触れることだと思う。


もう言葉で書かなくては文字にしなくちゃあ、収まらない気持ちもたくさんあって普段人は何も重要な事を言ってくれないけど、言葉、文字にするとみんな驚くほどしゃべらない人も語っている。こんなに何か思ってるんだったらしゃべってくれればいいのにといつも思うけど実際本人に会うとやっぱりしゃべってくれない。でもネット上ではたくさんしゃべってるのだ。人は重要なことは言えない。だから文字で会話するのだ。
一時期、2年くらい引きこもりみたいな生活を送ってた時期があった。バイトには行っていたけど、それだけで友達もいないので遊びにも行かず、話す相手もいないのでただひたすらパソコンに向かって言葉を書いていた。
私に気付いて欲しかった。私に触れて欲しかった。文字がそのとき愛しくてたまらなくなった。文字にすれば私の気持ちは独り言はすべて受け入れてもらえる。言葉ってしゃべるよりぜんぜん繊細だと思う。パズルみたいに埋めていくだけで心が満たされていくような気がする。落ち着いてくる。文字にしているということは、自分と会話していることと同じなのだ。人は自分を大事にするために文字にして自分と会話をしている。だから文字という媒体はこれからも必要になっていくし、私は文字を大事にしていきたい。書く事でどうにかおさまる気持ち、なんとか表現できる気持ち。身近な表現方法。しゃべるように書く。言えないことを書く。文字はすべて冷静に受け止めることができる。熱くもなく冷たくもなく、ただそこに文字がある。そういう魅力があると思う。