せめて悲劇のヒロイン

ポスティングをやっているときの私の目はどうしてか死んでいる。どうしても死んでいる。ポスティングをやっているときの自分は自分で自分を殺せるから好きだ。その底辺さが好きだ。仕事をやっているのに管理人さんからは管理人と言う仕事のため見つかり次第、仕方なく怒られるし、
「ここはチラシの投函は駄目なんだよ、書いてあるでしょ、」
「いや、仕事なんですけど」
「仕事でも禁止されてるから駄目」
とか、ああ私は違法な行為をやっているんだなと、管理人の目をかいくぐってポスティングしてる自分が汚く汚くそのインクで汚れた汚い手で1ヵ月、たった一万円のために、何でこんなにもなって心をなくしてまで、頑張っているのかよくわからなくなる。私は会社のために少なからずも貢献しているはずなのに。ポスティングをやるたびに私は冷たい人になっていく。よく子供の頃、夢なんか夢だと最初から知ってて、全てを悟った子供がいたが、
「私、将来絶対声優になるんだ」
「無理でしょ、なれないよ」
「…なんで、そんなこというの」
と言って一度や二度昔の私はその否定的な友達に泣かされた経験を持っている。ああういう子達は、やはり育った環境のせいで、そうなってしまった。んだと思う。私なんかいくらポスティングしても一度夢見る楽しさを知ってしまったから、どうしても夢見ることを忘れられない大人になってしまった。そのせいで未だにフリーターだ。私が夢見ることをやめていたら、小学生のころ勉強が無意味だなんて思わず、反抗せず勉強していただろうし、大学にも通っていただろう。なんか引かれたレールに乗っかるのが嫌だった。そんなことしなくても、私は何か持ってるんじゃないかと、やらかしてくれるんではないかと密かに自分自身に夢を持っていたのだ。でも22にもなって何も革命を起こしてくれない私に絶望している。だからポスティングしている時間というのは、その何もない自分というのをとても感じられる時間であり、このまま尾崎豊のように学校の窓ガラスを割ったり盗んだバイクで走り出したい気分で仕方ないけど、そんなことしたら、どうなるかわかってるからギリギリのところで理性がなんとかしている、わけである。悲しい。わかる。突発性犯罪が起こるのかがよくわかる。ポスティングをやっている私は自分でも恐ろしいほど何かをやってしまいそうだ。仕事というのは冷たくて実に虚しいものが多い。金をただ稼ぐと言うのは、そういうことなんだろう。今日もポスティングをやりにいく。正直怖い。どうして仕事をしているのに怒られなくちゃいけないのか、さっぱりよくわからない。私が何をやったんだって言うんだ。ポスティングをやっている最中に、後ろからナイフで刺されたらどうしようとかいう妄想が駆け巡る。それはやはり、どうしても嫌なのだ。私はやはり夢を捨てられないし、自分には一番の期待をかけている。
そうか、私は自分に一番に、期待をかけていたのか。
母親によく「あんたは期待しすぎなのよ」と言われたが、そうか私は私に一番期待をかけていたのか、
こうやってネットに書き込んでやることによって自分が主人公きどりの小説でも書いてるような気分になるので少しでも自分の生きている意味を確認できるのである。ねえ、泣いてもいいですか。だれでもいいから胸を貸して欲しい。