男に負ける

なんか生きてるとなんで生きてるんだろうという考えにたどり着く。そしてなんで宇宙ってあるんだろう。結局、奈々ちゃんは歌う以外の会話のときに(MCって言うんだっけ)ひたすら社交辞令程度のことしか言ってなかったし、「みんなに嬉しいお知らせがあります」って言って自分の宣伝しか、結局話してなかった。なんとももどかしい。でも奈々ちゃんがかわいくて、魅力的に感じたのは事実で、奈々ちゃんの公式サイトをブックマークしたのだが、なんだか語彙力のない、というか当たり障りのない話しばかりで、この娘は何をそんなに怯えてるんだと勝手に思ってしまった。新谷りょーこや、ゆかりんの日記の方がまだ良い、まあラジオとか聞いてないのでよくわからん。私っていつ女として認識してもらえるのだろーか、あそこでは女として認識してもらっていたのは奈々ちゃんだけだったと思う。奈々ちゃん以外は女なんかじゃないとかみんな思ってるんだろうか、やっぱ女の子は毛のないのが当然ですか、このブログに『毛深くてエッチできない』って言う何とも興味深いキーワード(私、そんなこと書いてたのかもしれんが)で来た人がいてね、そうだよ毛深くてエッチなんかできないよ。幼稚園のときから、この毛深さには悩まされてきた。友だちに「猫みたい」って言われたりもした。そんな私の対策方ははさみで毛をつまんでは切ることだった。つまんでは、切る(そのころから、つまめるくらいの長さだった)つまんでは、切る、つまんでは、切る、そうすることで、鏡の中の足の毛たちは目立たなくなっていった。それは他人の目にも明らかだったらしく家族ぐるみで付き合いのあった恵美ちゃんのお母さんに「毛切ってるの?偉いわね」と褒められたくらいである。今になって思えばなんで褒められたのかさっぱりわからない。何がどう偉いというのだろう。若いうちから処理して偉いということなのだろうか、でも小学、中学とあがっていくにつれて、毛の処理はそんな生ぬるい方法じゃ済まなくなってきた。小学生や中学生になると、毛をもっと気にする年頃になるが、処理したいけど、何で周りの目をわざわざ気にしてまで負い目を感じてまで処理しなくてはいけないのだろうという葛藤が生まれてくる、処理しなくても別にいいじゃないか、ありのままの自分でいるという選択肢を選んでしまった私は、プールの時間に腋毛を処理し忘れるという大変なことをしでかしてしまうのである。中学のころだ、なんで水着は、脇まで覆い隠すタイプのものではないのだろうか、なんで男たちは、あんなに腋毛、無駄毛ボーボーでいいのに女は生やしとくと、キモイとか言われたりするのだろうか、私は周りになんか踊らされない、生えててなんで問題があるんだ、いいじゃん生えてんだからというスタンスできていたが、このときばかりは勝手が違った。その日プールがあることを、すっかり忘れていたのだからしょうがない、腋が見えないように小さく体操座りをしたことは覚えている。でも、どうやって泳いだのかとか、その日その時間をどんな風に乗り越えたのかは全く覚えてない。ただ周りの女子の好奇に満ちた目だけはすごく覚えてる。普段、私になんか話しかけてこない女子が耳元に来て「ねえねえ、水原さんって腋毛生えてるの?」って聞いてきたことを今でも覚えてる。私は「生えてるよ…」って小さく答えたのか無言でただただ黙秘権を使用したのかどっちか覚えてはいないが、聞いてきた女子も女子である。でも腋毛が生えた女ってなんであんなにも恥ずかしいものと世間では認知されているのだろうか、でも腋毛の毛はちん毛に似てると思う。私の腋毛は筋金入りに濃い。それは私がエロいから、なのだろうか。22年間生きてきて「きれいなお姉さんは、好きですか」のキャッチを考えた奴を何度か呪いたくなる瞬間がある。誰だ、そんな迷惑なキャッチ考えた奴は、ふざけんな、「でも、きれいなお姉さんは大好きです」だから、これから毛深いアイドルなんかが流行ればいいと思う。オデブアイドルの次は毛深アイドル誕生だ。毛を金色とか赤毛に染めれば、きれいに染めればそれなりに人気が出るんじゃないだろうか、腋毛の赤毛とかは、それなりにきれいに見えるかもしれない。男で自分より毛が薄い人が多すぎる。素直にムカつく。そして見惚れてしまう、そのきれいな肌に、毛深い女の気持ちなんてこれぽっちも知らないのだろう。

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これ100円なんて嘘だろ、だから買いました。