ここには裸の女の人の映像はありません。

私が男の人と遊ぶのは、やっぱり珍しい気持ちが自分の中に芽生えて新鮮だからだ、と思う。銀色夏生が『それは恋ではない、珍しいという気持ちだ』みたいなこと書いてあったけど、そうだと思う。やっぱ今まで生きてきて女の友だちの方が断然多いし、むしろ男女で何でも分けられてたし、男としゃべるのを何の抵抗もなく、いや、抵抗はあるか、抵抗少なく男としゃべれるようになったのは、本当につい最近だった。それまでは他人の性器に触れるかのような感じで、ただ怖くて珍しくて自分には無いものが付いてる人たちに私の気持ちなんてわかるもんかとか、まあそれに近い気持ちは抱いていたと思う。でもそんなこと考える暇がないくらい、男が侵入してきて、ときには私ひとり女で周り全員男ということもあった。良い歳して今更恥ずかしがるのも嫌なので、まあ同じ人間だろって前向いて話すようにはしてきた。でも今でも恥ずかしい。処女なので恥ずかしい。(これは理由のほんの一部)その気になれば、あんたのおちんちんを入れられる自分の体が恥ずかしい。何人か遊べる人もできて、でも恋はしょっちゅうしてたけど、カップルになれることはなかった。セックスできるのが女同士でも可能だったら、いつ起きるかわからない化学反応にどきどきして毎日の生活が楽しいだろうか、でもそうかもしれない、もしかしたら今目の前にいる他人と今夜寝るかもしれないって思うと、女でもドキドキしてきた。あー男が珍しいんじゃなくてその感情が珍しいのか、いや、やっぱり男も珍しい。異性の体は珍しい。自分に付いてないものを見てそれを舐めると気持ちいい顔をしてくれるなんて、珍しい。でも女の子でも十分あり得ることなんだなと今実感した。ただ男の方が珍しいからその割合が高いんだ。すみません、そんな不純な動機です。「好きとかじゃないから、珍しいだけなんだからねっ!!(その、それが)勘違いしないでよねっ!!」いや、ほんとは好きなんじゃん。
私はカップルのツーショット写真というのが嫌いだ。何か汚らしく感じるのは自分だけだろうか、自分に彼氏ができたら、ツーショットなんて勘弁だ。好きな人の隣に自分の汚い笑顔が並んでるのをわざわざ記録として残しておきたくない。申し訳ない。そんなのは思い出の中で美化されたのだけで十分だ。思い出の中の私はきれいだ。
私がエッチの知識を大量に入れ始めたのは、高校生のときだと思う。高校2年生くらいまで69が何の意味か知らなかった。携帯のチャットで69とか出てきて、それなに?って聞いて、「知らないの?」「純粋だねー」とか言われたのを、ふと思い出した。で、ネットで調べたのかなあその頃あたりで『抜く』の意味も知らなかった。何か先輩たち(女)がエロい話ししてて、『抜く』とかの単語が飛び交ってて「それなんですか?」って聞いたら当然の反応だが「知らなくていいーの!!」とか「まだ早い!!」「教えちゃ駄目ー!!」みたいなこと言われたの思い出した。抜くって精子出すってことだよね、なんとなく知った。どーでもいいけどオナニーの昔の言い方って五人娘なんだって、すごいびっくりした。モーニング娘。みたいだ。五人娘。萌えキャラが作れそうだ。そんなエロゲー発売されないかな。
グレイプバインが好きです。結局こんな文章しか書けない。つまんない。
ともだちが緑川光のことを光ちゃんと呼んでいた、キモいよ、と言ったら予想以上に落ち込んだので、いやオタクはみんなキモいよ、と言って、ほっちゃんの愛をアピールしておいた「ほあああああああ」と、私2003年頃の声優業界が一番好きかもしれない。