自分の文章を読み直したくない。

何も目標を持たない夏休みは初めてかもしれない、そんな夏休みも、もう二日ばっかしで終わりを告げてしまう、何もすることがないとあの忙しかった日々になんとなく手を伸ばそうとしている自分がいたりして、もういいよ死ねよ、自分。つまりは大人しく演劇やっていれば良かったのかよ、今日はずーっとネットしてた。何もやる気しなくてひたすら、ようつべでニートの映像とか見て、自分もやつらもそんなに変わらないじゃんかなんて思っていた。
メールは結局返ってこない、他人は私がいなくても平気で楽しそうにしてる。それがなんだか途方もなく悔しくて、何か私だけが君に与えられる快楽で、その両手を縛ってあげたいのに、あなただけが必要なの、って携帯には打ち込んで消す。君だけが必要なの必要なの、嘘でもいいからそういうことにしておいてくれないかなあ、今だけでも。
昨日、後輩が昔住んでた亀有の街を歩きながら、ふと思った。あーやっぱり私が悪かったんだ、今の私には軸がない、だからわかってあげられなかったし、どーでもよくなっていた、だから真剣に答えてあげられなかった、何を言われても「めんどい」「どーでもいいじゃん」ぶつかるのが、めんどくさくなってた。自分の信じたものが全て嘘に見えた。だから手放した。夢を諦めることの快楽を知った。いいじゃん、今、目の前で笑ってくれる人の笑顔だけ守れたら、今あなたが私の会話で笑ってくれればそれでいい、それがずっと続いてくれたらそれだけで満足なんです、そんな些細なことさえも守れない、君は私の手からするりと向こう側へ行ってしまうから、私は笑ってばいばいと言うしかない、結局諦めても満足できない、夢がある他人を恨めしそうにでもどこか懐かしそうに、目を細めて若いねーというしかない、昔の私にはあった、誰にも譲れない夢、絶対叶えたい夢、それしかないと思っていた。勉強もできないしスポーツもできない、友だちもいないから夢を叶えるしかないと思っていた。でもいろいろなものが手に入るようになって、どうして私はこんなにしてまで夢を追っているのだろう、たくさんの友だちもいて、足を止めることだって可能なのに、どうして私はこんなにぼろぼろになってまで前へ進まなくてはいけないのだろう、夢って自分を傷つけていくものだったっけ、もっと自分を幸福にしてくれるものじゃなかったっけ、と思ってからは失速し始めた、夢に向かうことで誰かとぶつかる度に自分の正論を振りかざしてそれが正論だと疑わずに相手を傷つけて自分も傷ついて、今遠くからそんな自分を見てとても滑稽だなって思うけど、私は自分の正論を手放したところから、とても大事な自分の核となる部分をなくしてしまったのかなと思った。
私みたいに自分の核となる部分に目をそむける人は大人になるにつれて増えていくと思う。でもだからこそ、諦める人がいるからこそトップに立てる人がいてその下で動く人がいる、社会って人生ってよくできてるなあと最近思います。